螺旋を切りとる:岸井大輔『始末をかく』

 すこし時間があったので横浜美術館木版画を見るつもりでみなとみらいに来た、ところで、今日それがしたいわけではなかったと思いなおして伊勢佐木町に抜けようとしたのを、見当をちがえて新高島へ出てしまい、引き返してランドマークタワーから桜木町へ、渡る歩者用の陸橋を日本丸の辺りからのぼり、コレット・マーレの前を過ぎて高架の線路をくぐったそのまま、国道を、渡ればいいものを川を越えて馬車道、あたりを冷やかして、吉田町でひと口引っかけたまま足をのばして黄金町に、着いたころには日が傾いたから、そのまま京急に乗りこんだら、速い電車が過ぎるのを南太田で待たされた。その次で降りる。


 岸井大輔『始末をかく』は 5月24日(土)・25日(日)の二日間、井土ヶ谷の blanClassで上演された。21日(水)には先んじて試演がなされた。ああまで知人の多い客席は初めてで、居心地の悪さを感じたけれど、すぐに慣れてしまった。

 前座と称して岸井が開演とほぼ同時にはじめたテキストの朗読が三人の出演者たちに引きつがれて、やがて観客へ引きつがれる。客席にぐるりを囲まれた舞台に配された 4つの椅子のうちのひとつに積みあげられていたテキストが、一部ずつ減って、そのほとんどが結局、一度は客席に渡された。

 観客に朗読を引きつぐはじめ、出演者から観客へは、好きな分量だけテキストを朗読してほしいこと、読みたくなければ読まなくてもいいこと、読んだら隣の人間へテキストを渡してほしいこと、などがが伝えられる(それは心理学実験の教示にすこし似ている。教示というのは被験者に伝えられる実験上の情報のことで、単に必要な手順を伝達しているだけのことも、実験に必要な嘘を伝達していることもある)。教示が与えられるのは最初だけで、それ以降あまり説明は行われない。それを直接伝達されなかった観客は、なんとなくルールを読みとって朗読に臨む。テキストはいくつかの作品から抜粋されて、それぞれ内容も文体も異なる。

 舞台をかこむ客席は螺旋を描くように作られていて、だから、いちど始まった朗読は客席の端に到達するか、出演者によって中断されるまで断続的に続く。声が重なることもある。そのうちのいくつかは仕組まれていたかもしれない。出演者たちは舞台で演じながら、時おり観客にテキストを渡したり、取りあげたりして場に生起する朗読をコントロールしていた。

 三人の出演者たちは開場時から舞台にいて、うち一人と一人が関係を結び、また離れる、ということをくり返している。関係を結ぶというのは、たとえば朝あったことを子細に説明したり、一緒になにかをするように要求したり、といったことだ。開演後次第に、観客にテキストを渡したりする動きが加わり、やがてテキストをすべて観客から取りあげると、出演者が朗読を暗唱として引きついだままパフォーマンスを行う。

 朗読のある客席に慣れると、ほかの観客が気になるようになった。誰かが朗読を続けている。脚立のうえの席で変なポーズのまま観ているひともいるし、テキストが回ってきてもまったく読まない人もいる。毎回一文だけ読む人も、じっと何分も黙読する人もいる。窓の外、左から右に京急線。誰かが朗読を続けている。出演者を目で追っている人も身をひねった姿勢でいる人もいる。誰かが朗読を続けている。


 抜粋で構成されたテキストは朗読によってさらに抜粋されて、二次的な物語になる。朗読が続く客席(と、舞台)ではいくつかの(二次的な)物語が生起していて、それらの輪郭は接続と断絶によって作られている。この接続と断絶は、一人と一人が関係を結ぶことで生起する。関係とはたとえば何かを話して聞かせること、一緒に何かをすることを誘うこと、テキストを渡すこと、テキストを奪うことだ。ここでの主客がそれぞれ観客なのか、出演者なのか、ということはおそらく大きな問題ではない。出演者によっても観客によっても朗読はなされて(二次的な)物語になるし、それらが偶然重なることもまた物語に変調を来すかもしれない。


 観ていてどうしても、続くことについて考えてしまった。鳩は一歩進む毎に一歩前のことを忘れる、と友人が話していたのを思いだす。物語や上演には、続いていく螺旋の一部を切りとってみせる、という面もその仕事のひとつとしてある。ひとの記憶や自意識についてもそういう部分はある。けれど鳩から切りだしたそれは連続しているのか知らん。

リスの足どり:にれゆり『新座キャンパスで、かもめ。』

 にれゆり『新座キャンパスで、かもめ。』は 3月1日(土)・2日(日)に各日二回ずつ上演された。2日に上演された二回ともを観ている。人が少ない日曜日のキャンパスの正門を通るときに守衛と目があって、にこやかに歩行者通用口へ案内されたけれど、すこしたじろいだ。

 本作は立教大学新座キャンパスのほぼ全域をつかって上演された。観客にはキャンパスの地図と上演のタイムテーブルが配布される。キャンパスの各所で上演があることのほかに観客に知らされているのは、リスの帽子をかぶったガイド(中村みなみ)についていってもいいことと、どこで何がいま起きているか、にれゆりの twitterアカウントで実況がなされることだ。

 タイムテーブルは新聞のテレビ欄のように構成されて、縦軸に時間を、チャンネルにあたる軸には人物をとる。番組にあたる枠には、その人物が登場する場所が記載されている。そのとき誰がどこにいるのか、誰と一緒にいるのかがわかるようになっているのだ。ところどころは空欄になっている。

 これはキャンパスツアーなのだろうか、とはじめは疑問に思っていた。 twitterなどでの実況、あるいは予告、に従って観客が自由に観賞するのは、マレビトの会『マレビト・ライブ』的でもある。そこにツアー要素はない。あるいはガイドという点で中野成樹+長島確『四谷雑談集』も記憶に新しいが、本作ではガイドが先導するものの、必ずついていかねばならない類のものではないという。

 上演前の「お茶会」からの流れでそのまま上演がはじまる。観客はトレープレフの作品を『かもめ』第一幕の通りに、アルカージナたちとともに観賞し、幕が下ろされたあたりから自由に歩きまわれるようになる(もちろんガイドについていってもよい)。

 けれどガイドを頼らずにしばらく歩きまわってみて、ガイドなしではなかなか上演に立ち会えないことに気づく。早く着きすぎたり、すでに上演が終わったスポットでしばらく待ってしまったり、一方で意図しなかったシーンの上演を目撃したりする。

 次の行き先に迷ってにれゆりの twitterを見てみると、「マーシャは7号館へ、黄昏に行きました。」という投稿がなされていた。タイムテーブルではマーシャが空欄になっている時間帯だ。興味を引かれて探してみると 7号館の 2階、チャペルを見下ろす喫煙所にマーシャ(福井歩)はいた。タイムテーブルの空白は舞台からの退出を示すものではなく、上演時間一時間のあいだ、出演者のまわりでは物語が続けられていたのだ。7号館からは広場を見渡せて、おそらく上演とは関わりない学生たちの、二人乗りの自転車がゆっくり正門へ抜けていった。二人のまわりにある物語といまこのキャンパスで上演されている物語とはどれだけ違うのだろう。それから 5号館のあたりでふたたびツアーガイドに合流した。

 ガイドは観客を導くだけでなく、説明的なこともかなり喋る。とくに第三幕から第四幕のシーンへと移行する時間帯に、「このキャンパスではいろいろな時間が流れていて、」から始まり、二年が経過したことを告げるところはほとんど台詞と言ってよかったと思う。

 この、リスの帽子をかぶったりして、いかにも道化たような存在が重要だったのかもしれない。ガイドの導きに従えば、観客はこのキャンパスで上演されるシーンの多くに立会うことができる。けれどそれは一方で、ガイドされないシーンを選んで見逃していくということでもある。ガイドされないシーンは、たとえば二人乗りの自転車とおなじような距離感をもって、ガイドされたシーンと対立する。キャンパス全体に散在する物語(『かもめ』に関わるものも『新座キャンパスで、かもめ。』に関わるものも、どちらにも関わらないものも)のなかにリスの帽子が一本の線=流れを引いて、その周りにあってガイドされない物語を観客が眺める基準になっていく。

 観客はガイドに従って流れを追うこともできたし、外側から流れを眺めることも、流れから外れた物語と含まれた物語の関係を見ていくこともできた。そういう行き来のしかたができる、ということにも、僕は楽しみを感じていたのだと思う。

可能性とシーケンス:森孝介『「瞬か」とは、なんだったのか?』

 「ゴンゾ的な動きがそこで可能なのか」という意味のことを、映像のなかで contact Gonzoの塚原悠也が言った。

 スガダイロー五夜公演『瞬か』に関する映画『「瞬か」とは、なんだったのか?』は一月に一日だけ上映されたあと、この二月末に一週間再上映された。『瞬か』はオープニングナイトと第二夜しか観られなかったので、他の日の様子を知りたい意味でも映画を観にいった。オープニングナイトについては一度別に書いている

 映像がきれいで、というか、近くて良かった。それは舞台上で起こっていたコミュニケーション、あるいはコミュニケーションを仕掛けるための身振りがつぶさに(あるいは、ただし、意図的に)拾われていたからだ。

 衝撃的だったのは酒井はなによるパフォーマンスで、映画のアフタートークで岩渕貞太がまさに触れていたように、そこではスガダイローの音楽をある種従属させてしまうような関係性も構築されていたように見えたのだ。

 コンテンポラリダンサーたちや contact Gonzoたちとの夜では、音楽のほうを振りまわす、ある種従属させる、ような様子を見つけることがあまりできなかった。どちらかというとパフォーマーが振りまわされている様な印象をもつ場面があったのだ。

 酒井のパフォーマンスを映像で見たときに感じたのは、彼女のダンスはシーケンス=パフォーマンスを構成する時間の単位が長いということだ。音楽=ピアノの音の並びがある程度長いシーケンスを要求するのに対して、コンテンポラリダンスや contact Gonzoのそれは必ずしも長さを要求しない、あるいはより細かなスパンで判断して修正していく余地がある、ように思える。従属しているように見えたのは一つにはそのせいかもしれない。

 可能なのか、という塚原の言葉が引っかかったのは、スガがピアノを弾き続けていたからだ。contact Gonzo的な動きが可能かどうかわからない状況と、スガがピアノを弾き続けられる状況というのは、ある種フェアではない(その意味では、「彼はピアノを弾く。僕は弾かない」と冒頭で言い切ってしまった飴屋法水はフェアに立会っていたように思える)。舞台上での関係性がかならずフェアでなければならないとはまったく思わないけれども、なぜそのような状況が生じたのかには興味があって、もう少し考えたい。

 近藤良平による関係の結びかたも魅力的だった。五夜が五夜とも異なる関係の結びかたを探っていて、その最終日にああいう試みがあったのは素敵、観たかった、と思う。観客と舞台の関係の結びかたについて PACで書かせてもらったけれども、舞台上での関係の結びかたにもあらためて興味が出てきた。

 岩渕がトークのなかで「ジャズの音楽では遅れてしまったことをなかったことにしていくことができる」という意味のことを言っていたのを思いだす。

池袋アンダーグラウンド/オーバーグラウンドツアー

 池袋アンダーグラウンド/オーバーグラウンドツアーを実施します。池袋の地下と屋上を巡るツアーです。ときどき、地上も歩こうかなと思っています。


 池袋で待ちあわせをすることはありますか。どの辺りですることが多いでしょうか。僕は池袋で待ちあわせるとだいたい、会えなかったり、少なくとも会えない不安にかられたりします。それは何故なのだろう、ということをずっと考えていました。


 屋上は好きですか。池袋には屋上に出られるビルが多い、ということにさいきん気がつきました。簡単にたどりつける屋上もあるし、ビルのなかを延々と歩いたり、地下を黙々と歩いたりしてたどり着くような屋上もあります。いつのまにか、ビルからビルへ渡り歩いていたりすることもあるし、ひとつのビルだと思っていたものが、複数のビルでできていることもあります。そうしてよく見ると、ひとつひとつの界のあたりに目印が見つかることがあります。


 池袋アンダーグラウンド/オーバーグラウンドツアーは、池袋の目印と屋上を訪ねて歩くウォークツアーです。


(概要)

1.東口編
  集合: 3月16日(日) 12時半
集合場所: ジュンク堂書店池袋本店前
  解散: 同日 14時頃
解散場所: 丸ノ内線池袋駅中央改札付近


2.JR地下編
  集合: 3月16日(日) 14時半
集合場所: 丸ノ内線池袋駅中央改札付近
  解散: 同日 15時半頃
解散場所: メトロポリタンプラザ入口


3.西口編
  集合: 3月16日(日) 16時
集合場所: メトロポリタンプラザ入口
  解散: 同日 17時頃
解散場所: 池袋駅西口付近


(参加要件など)

  費用: 500円(通し参加可)
  服装: 歩きやすい服・くつでお越しください
もちもの: 水分補給できる様お茶などお持ちください。
      また資料をお渡しする可能性があるので、必要なかたはカバンを
あると
いいもの: 携帯電話類・筆記用具


※ 保険のたぐいはかけません。諸々自己責任としてご納得頂けるかたのご参加をお願いします。


(参加方法)
facebookイベント、またはfuzzkey+IUO☆gmail.com へメールでご応募ください。(☆→@)
メールで応募される場合の必要事項は下記のとおりです。


(1)当日まで連絡のとれる メールアドレスまたは twitterアカウント
(2)当日連絡のとれる電話番号
(3)おなまえ
(4)参加人数


斉島明
twitter: @fuzzkey
mail : fuzzkey☆gmail.com

光よりも速い言葉で:スガダイロー五夜公演『瞬か』オープニングナイト

目が覚めるような時間だった。とりわけスガダイローと岩渕貞太が対峙した時間は素晴らしかった。

岩渕のことは『living』以来できるだけ見るようにしていて、といって『UNTITLED with animation』東京デスロック『モラトリアム』しか見られてはいないのだが、今回は特に『UNTITLED』を経たものが強く出ているように感じた(『UNTITLED』は動的に操作されるアニメーションと相互に影響しあいながらアニメーション/ダンスを進行させる公演だった)。無視しないながらも見落とす、今回でいえば聴き落とす、ということが行われていた様に見えたし、だからこそ、岩渕からもスガを振りまわしている部分が見られた様に思われる。それまでほとんど、少なくとも明示的にはダンサーに目線を向けなかったスガが、そのときはじめて明らかに岩渕を見た気がしたのだ。

ピアノにはピアノの流れが、ダンスにはダンスの流れがあり、それを断ち切ってまで合わせるわけには互いにいかない、けれど、相手の流れに沿うようにばかりしていては従属してしまうのであって、だから、見ると見ないとを意思によって選択するというのはなるほど対決だわ、そうしてピアノのダンスの対決というのは例えばこういうふうに成立するのだわ、と思ったのだった。互いに振りまわされあうようなことが。それはおそらく「光よりも速い言葉で」(山田亮太『タイム』より)。

(相手に振りまわされるのは恋人の権利、というのはたしか「星界の紋章」だったか、いずれコミュニケーションである以上通じる話ではある。)

(あと個人的な問題として、準備なぞいつまで経っても終わらないのだな、と思った。舞台に上がったら弾くか踊るかするしかないのであって、少なくともそこで戦うための準備と僕がいましている準備は違うものだということに気がついたのだと思う。さいきん仕事でやってることに引っ張られていたのだと思う。)

contactGonzoの回はまた見るつもりなので楽しみ。花やしきの時みたいにスガさんに絡んだりするのか、ということだけではなく、そのような対決が成立するか知らんということが。

交換不可能性と迷子: 子供鉅人『モータプール』

 子供鉅人を見るのは二回目である。HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE 2012で『Where is crocodile?』を見たのだった。『バーニングスキン』とか『幕末スープレックス』とか、子供鉅人を見る機会は何度かあったのだが、なかなかタイミングが合わずに今回まで見ずにおいてしまった。

 真っ黒な床面に、長方形の格子を白で引いただけの舞台を、客席が三方から囲む。それだけの舞台装置で『モータプール』は上演される。俳優がひとりずつ舞台に入ってきて、白線に沿って歩きはじめる。これはマームとジプシーを連想させる。白線に沿って歩きながら、俳優たちは一人ずつ、自分がいま履いている真白い靴について言及する、その、「この、くつ」という言葉が発せられるたびに、俳優全員がいちどその場に停止して、靴を掴んでポーズを取る。これもまた、「あし」の連呼ではじまるままごと『あゆみ』を連想させずにはおかないし、複数人が舞台を歩き回りながら自分の話をする、というのは東京デスロック『リハビリテーション』『東京ノート』を連想させるが、これらの連想はいずれにせよ、あまり大した問題ではない。

 白線を歩く俳優達が次第に舞台に満ちてくる、と、白線の上で渋滞が起こる、不自由そうに見える、しかしなおもは俳優は増え続ける、ざっと数えるとどうやら二十人以上いる。ここ最近、俳優が十人以上出るような舞台はほとんど見ていなかったので(バナナ学園純情乙女組とか、クロムモリブデンとか、もちろん見たけれども)、この時点ですでにすこし混乱した。

 だから、僕がまず興味を持ったのは、なぜこんなに俳優を出さなければならなかったのか、ということだ。そしてそれは、舞台が進行するにつれて明らかになってくる。不思議なタイトル『モータプール』の所以とともに。

 モータプールについては影山徹が言及する。モータプール、と言ったのを、モータープールやろ、と訂正されたのに対して、「俺の家ではモータプールって言ってん。冷蔵庫は冷やし箱」と応答する、その一連の台詞によって、モータプールの意味は変容する。モータプールはただモータープール=駐車場を示す言葉ではなく、「俺の家」という交換不可能なテリトリーに依拠して駐車場を示す言葉なのだ。

 舞台はいくつかの物語を提示する。影山徹とその友人、キキ花香とその家族、影山徹とその家族、道路で遊ぶ子供たち、そして益山貴司。益山貴司は三度登場して、みずからが生まれ育った家の話を繰り返し語る。一度目は声だけで、二度目は舞台に現われて、そして三度目は舞台でのたうち回りながら、自分の幼少時の家の話、交換不可能なことの話をする。一人で寝るのは嫌や、と言う(ここで中村航『僕の好きな人が、よく眠れますように』を連想したけれども、これは内容的には本当に関係がない)。

 私の家族(それはもう居なかったりもする)も、私が育ったこの町(そこには毎日女バレの更衣をのぞきにくる様な高校生もいたりする)も、今はもうないその家も、そして私自身についても、交換不可能な一意のものである、ということが提示される。役者が二十何人もいなければならなかったのはそのためだ。ような気がする。

 気になるのは、交換不可能性への接近はドキュメンタリーとの距離を縮めることだということで、舞台で見るものがイリュージョンでもドキュメンタリーでも僕は構わないのだけれども、益山貴司の告白は、舞台の上に乗るものがかならず纏ってしまうイリュージョン的なものを破り抜けてこちらに届いたのか知らん、ということにいま興味を持っている。あるいはそれは、もともとそれ単独で破り抜けようとしたのではないのかもしれない。そのあたりのことを考えるとよくわからなくなるが、虚構なのか現実なのかわからなくなる、ということがもっとも重要なような気がしていて、その意味で、あの告白がなければその境を意識することはなかったかもしれない。

 なんの話だ。

 まったく話が散らかってしまった。とりとめないけれども、次の舞台を見るのが楽しみです。

新宿アンダーグラウンドツアー (3かい目)

 3かい目となる新宿アンダーグラウンドツアーを実施します。

 新宿地下道はいま、南は新宿タカシマヤタイムズスクエア、北は新宿プリンスホテル(西武新宿駅)、東はBYGS新宿ビル(説明しづらい)、西は新宿西口公園まで、南北約1.2km、東西約1.7kmの範囲をカバーする長大な地下道となっています。おととし開通した新道もありますし、新宿サブナードは延伸にむけて協議中です。JR東口と西口を結ぶ通路の北側が自由通路として開放される計画も発表されました。南口の交通結節点もどんどん建築が進められています。新宿はこれからも姿を変えていくでしょう。

 そのような新宿の地下道のいまを歩いて頂くツアーです。


(概要)

 実施日: 5月6日(月祝)
 参加費: 500円(複数コース参加可)
  服装: 歩きやすい服・くつでお越しください。
もちもの: 水分補給できる様お茶などお持ちください。
      また資料をお渡しする予定があるので必要なかたはカバンを。
あると
いいもの: 携帯電話類・筆記用具


コース1:東口編
集合: 11時、JR新宿駅新南口
解散: 12時、JR新宿駅西口
概要: タイムズスクエア伊勢丹前、メトロプロムナードサブナードまで。希望により新宿線新宿三丁目駅副都心線地下通路(北、花園神社側)、新宿西口駅
    東口をよく使う方におすすめです。


コース2:西口編
集合: 13時、JR新宿駅西口
解散: 14時半、JR新宿駅西口
概要: 新宿西口地下通路、新宿の目、中央通り地下通路、タイムズアベニュー、ワンデーストリート、シーズンロード、プラザナードまで。希望により京王モールアネックス。
    西口をよく使う方・歩くのが好きな方におすすめです。


コース3:西口地下街編
集合: 15時、JR新宿駅西口
解散: 16時、JR新宿駅西口
概要: 新宿西口地下通路、小田急エース(南・北)、京王モール。希望によりルミネエスト。
    新宿地下の地割りに関する若干マニアックな話。好きな方におすすめです。

※ 新宿アンダーグラウンドツアーでは、歌舞伎町的な新宿アンダーグラウンドは扱いません。
※ 保険のたぐいはかけません。諸々自己責任としてご納得頂けるかたのご参加をお願いします。


(参加方法)

メールもしくは twitter DMでご応募ください。
(mail) fuzzkey+SUGT☆gmail.com (☆→@)
(twitter) @fuzzkey

ご応募の際、下記事項をお知らせください。
[1]おなまえ
[2]参加コース
[3]人数
[4]当日まで連絡のとれる メールアドレスまたは twitterアカウント
[5]当日連絡のとれる電話番号


※頂いた個人情報は 新宿アンダーグラウンドツアーで必要な場合のみ使用します。
 参加確認、待ち合わせで会えないとき、迷子になったときなど。
 他の目的のために使用されることはありません。


 斉島明

twitter: @fuzzkey
mail : fuzzkey☆gmail.com