揺れる針先:BricolaQ『演劇クエスト・本牧ブルース編』

 上等なコンパスの盤面は透明なダンパオイルで満たされていている。粘性の高いこのオイルは磁針の動きを妨げない、一方で、その位置が定まるときに起こるぶれを小さく抑える役割をする。それは登山やオリエンテーリング、それらに関わる簡単な測量に際して、正確な方位を知るために必要な機能だ。けれどそれを知らせることだけが本当にコンパスの役割だろうか。

 BricolaQ『演劇クエスト・本牧ブルース編』は 11月 22日(土)から 24日(月祝)にかけて上演された。参加者は旧マイカル松竹シネマズ本牧で「冒険の書」を受けとり、「冒険の書」に従って本牧の町を歩くことになる。

 前作『演劇クエスト・京急文月編』では前説の形式、開始直後の移動ルートなどによってスタート当初から参加者同士がまとまりやすい(≒コミュニティを形成してしまいやすい)形式になっていた。PortB『完全避難マニュアル 東京版』についても以前似たようなことを書いたけれども、ツアーパフォーマンスにおいて、特にコミュニティを相手にする(あるいはし得る)ツアーパフォーマンスにおいて、集団での参加と個人での参加とでは体験が大きく異なってくる。参加者たちは集団となることによってあらかじめ参加者のコミュニティを形成してしまい、それはツアー先のコミュニティに対して悪い意味でのクッションとなるからだ。少なくとも遊歩的な振舞いからは遠のいてしまう。

 本作においてはその点が徹底的に修正されている。集合時間に幅を持たせたことも前説を取りやめて「冒険の書」を手渡すだけにしたこともスタート直後にすぐ分かれ道を作ったことも、そればかりが目的ではないとしても、参加者たちを(スタート直後の段階では)まとまらせない方向に強く作用したといえるだろう。

 参加者たちは出発後間もなく 4ルートのうちひとつを選ばされることになる。旧映画館を出てすぐの四つ辻の交差点で、東西南北どちらへ進むか選択を迫られるのだ。けれどどの方角へ向かったとしても、参加者は共通して 2つのアイテムを手に入れることになる。ひとつは本牧にまつわる記憶の存在を示すカード。もうひとつは長さ 2センチほどのうすい針と、申し訳程度に八方位・十二方位が記された文字盤をプラスチックのケースに封じた小さな方位磁針=コンパスである。

 このコンパスは必要があって導入されるものだ。今回の本牧に設定された冒険エリアは網の目のようになっていて、参加者は「冒険の書」に従って同じ道を何度もループすることも、同じ交差点へ別方向から侵入することもできる。単視点からの記述では別方向からの参加者を迷わせてしまうし、それを避けようとすれば章の数を膨大なまでに増やさなければならない。けれど鳥瞰からの記述にしてはそもそもツアーの趣旨を損なってしまう。主観的な記述のなかに、鳥瞰的だけれども掌に収まる、手触りのある目印を示せるものとしておそらくコンパスは導入された。

 そうしてその針先が、けれど常に定まらず、「おおよそこの方向」という大まかな指標だけを参加者に与え続けたことが、私にとってはもっとも印象的だった。冒険は自由だけれども、選べる道はいずれにせよ片手で数えるほどしかない(七叉路を除いては)。オイルコンパスのような精度を出せる必要はないのである。一人で進む方角を決めるためにはその道のすこし先に何があるかについての知識、そのさらに先に何がありそうかについての予見、そして指標を与えて選択を後押ししてくれるもの、たとえば細かく揺れる針先さえ手のなかに揃っていればよい。


 考えてみればバスにはすこし先の知識もさらに先の予見も揃っている。どこで降りるかを選ぶためには、(おおよその場合そうであるように)あらかじめ決断を後押しするなにかに出会っておくか、あるいは車内で出会いさえすればよい(もしなににも出会わなかったなら、バスが終点まで連れて行ってくれる)。この日の朝は横浜駅から和田口まで行くつもりでバスに乗ったのだった。三渓園へ向かうバスはひどく混みあってやたら賑やかで、電車で移動する横浜とはもう、冒険のスタートより前から景色が違っていた。途中で小学生二人が混んだ車両へ乗りこもうとしたところへ運転手が、前の乗車口はもう混んで駄目だから、降車口から乗って降りるときに前へ回って払いなさい、小学生? じゃ 100円、中学生? 小学生、じゃ 100円だ、とやって、バスの中に笑いが起きたのは、もしかしたらあの日のベストシーンだったかもしれない。三つあとの停留所で彼らが降りたのを半ば追うようにしてバスを降りると、目の前には公園が広がっていた。